日が落ちたころに犬の散歩をしていたら、蝉の抜け殻の抜けてない奴が歩いていました。
先を急ぎたそうな犬をほったらかして、しばらくずっと見てました。

どこか土の中から這い上がってきたはずですが、彼が歩いていたのはアスファルトの上。
どこか木の上によじ登っていかなきゃいけないはずですが、彼が登ろうとしていたのは鉄製の歩道の手すり。

何度もチャレンジしてましたがツルツルの鉄にはよじ登れそうにありませんでした。

数年間を土の中で過ごし、地上に出てふ化してまぁ僕らの知ってる蝉の姿になって過ごすのはほんの一週間足らず。

蝉の生涯はよく知られてるところですが。

鉄にはよじ登れそうにありませんでした。

ふ化する直前というのは非常に体がデリケートなために、人間が手で少し触ったくらいでも、ふ化する時に羽の形に異常をきたしたりするので良くないことは何となく知識として知っていましたが。

つまんで土と木のあるほうに動かしました。
多分きっと余計なお世話、偽善行為っていうんですかね。

俺に触るんじゃねぇ!
って感じでかなり暴れました。

一晩かけてふ化すると思うので、彼がちゃんとふ化して蝉になれたのか、力尽きて息絶えたのかは確認できませんが。

鉄にはよじ登れそうにありませんでしたが、

何度正当化しようと思っても触れるべきでなかったなぁと、かなり心が沈みます。

人の勝手な都合で彼の歴史に触れてしまった罪悪感がぬぐえません。
僕が余りパリや京都が好きになれないのもその辺りかもしれません。

都に合わせると書いて都合になりますが、京都の都合は決して京の都の歴史や文化の都合ではなく、今日生きる人の勝手な都合の上で変に美化され、正当化し過ぎているような印象をどうしても受けてしまいます。
人間は自分たちの都合のいいようにある時は歴史や文化を尊重し、ある時は歴史や文化を破壊し、なんらかの隠れ蓑を利用し、いとも簡単に自分たちを正当化し美化しようとする生き物だと思うので。

はたして本当にそこにあるのは歴史や文化に対しての尊重と敬意なんでしょうか?
もちろんある視点においての話ですが。

鴨川の風は涼しくて気持ちが良かったですが、
明日の朝、蝉は鳴いているでしょうか?

泣いているでしょうか。

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by locario | 2009-07-17 03:03
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